短編小説「ラッパと影響」

 高らかに響き渡るラッパの音色。
 ごった返す通行人と、その頭上を彩り飾るガーランド。
 ついでとばかりに賑わう店先の呼び込み。
 高名な冒険者の数年越しの凱旋だとかで、街は朝から賑わっている。朝日の鐘の何倍かはある報せの音。顔見知りの吟遊詩人は、いつにないはしゃぎようだった。珍しい早起きによって目にした宿の朝食すら、まるで出がらしの普段とは打って変わった御馳走だった。
 主役はたった数人。歴史に謳われる実績まではないものの、履いて捨てるほどいる冒険者とも一味違う。そういう一行だ。
「……ハァ」
 一方で男の居心地は、最早最悪と呼べる限界になっていた。馬鹿みたいに賑わう街では、同行人の輪からそそくさと抜けても誰にも気付かれやしない。今ばかりは、自分にとってはそれが助かるのだが。
 男は人混みを抜け、薄暗い路地へと身を滑り込ませた。
 世辞にも整ったとは言えない黒髪。極悪と形容するのがぴったりの人相。広場よりこの裏路地のほうが相応しい色の異国装――まれに侍と称される格好だ――この街でかなり珍しいその装いは、今では「フワ」という名乗りと合わせた呼称になることも多かった。
 フワは塀にもたれ、よれた煙草の先に火種を近付けた。やがて息を吐き出すと同時に、薄く煙が立ち上っていく。
 ため息と変わりない一呼吸すら、遠くの喧騒に吞まれていく始末だ。
「……たりぃ」
 消え入るようなぼやきでも、しかし呼び込める相手はいるらしい。フワの呟きと同時に、路地の先で誰かが足を止める気配がした。
 数メートルの距離で視線がぶつかると同時に、その青年は首を傾げる。
「あれ。フワじゃないですか、お一人で?」
 人懐こそうな会釈をして、近付いてきた。定宿の顔馴染みだ。
「……ビレプ」
「機嫌悪い時に僕を睨むの、やめてもらえます?」
「そういう時に限って毎度そっちから来んだろうが……あ?」
「何ですか」
 ビレプはフワから少しの距離を置いて、放置されている荷物に寄りかかった。
 整えられた身軽そうな武具と、手入れのされていそうな軽い髪。戦闘時こそ同じ前衛で肩を並べることはあるものの、二人の風貌は正反対と言ってもよかった。話すようになった共通点と言えばただ一つ――フワの無遠慮な視線は、ゆらめく煙へと戻る。
「表は祭りだろうが。あんた行かねえのか」
「ああ、行くって約束はしましたけど。まだ気分が乗らないんで……」
「クソ野郎」
「サボってるあなたも大差ないでしょ。クソ野郎のよしみで一本ください」
「……」
 優等生じみた顔をして、ビレプは喫煙者だ。それも、フワの喫煙量をゆうに超すほどのヘビースモーカー。
 煙草の箱をビレプに放ってやると、彼は片手で受け取った。一本抜き取る様子に続いて声をかける。
「誰と?」
「オーレとプリアナ。帰還が間に合えばゴウもって話で」
 返答と共に箱を投げ返してきた。同行者の組み合わせをフワが噛み砕く間、ビレプは手慣れた様子で手元の一本に着火する。
「……そりゃまた珍しい面子じゃねえか。いかにもな騎士様で勢揃いしやがって」
「何考えてるんだと僕も思いますよ。オーレはともかく」漂う煙の出所が二本分に増えた。「育ちがいいのは、それ同士でつるみやすいんじゃないですか」
「あァ? 自己紹介かよ」
「いえいえ。僕は元来、ああいうのにはお近付きになれない側なんで」
「……ふっふっふ」
 思わず、低く笑いがこぼれた。ビレプが不思議そうな表情で、丸い目をさらに丸くする。
「あんた、根暗だな」
「褒められると照れます」当然のことのような声色が、煙と共に吐き出された。
「何も褒めてねえだろうが。……今日は日陰で過ごすか?」
「いや……心配させるのも悪いですし、この一服で戻りますよ」
「そりゃ結構」
 フワは吸い殻を弾くと、石畳の上で踏み崩した。汚く散らばる足元を、ビレプは咎めることもなく眺める。
 かと思えば、ふと口を開いた。
「そういえば、ヨジがあなたを探してましたよ」
 一緒にいたんでしょ、という視線が投げかけられる。予想されている気はしていたものの、フワが抜け出してきたのを、そもそもビレプは初めから知っていたのだ。
「……何だァ、気付かれるもんだな」
「当たり前でしょ。いつもの感じで抜けたんだろうとは言ってましたけど」
「おー。分かってんじゃねえか」
「迷子探しが迷子になる前に行ってあげたらどうです。もしくは……」
 ビレプはにやりと笑った。楽しい時に限って、こういう意地の悪い顔付きになる。
「不思議と知り合いは、だんだん一か所に溜まっていくもので。最後の大トリとして登場するのもいいんじゃないです?」
「……煙草代だ。その重役はあんたに譲ってやらァ」
「あは。候補には入っておきます」
 挨拶は片手を挙げるに止める。大儀そうに塀を離れるフワを、愉快げな笑い声が見送った。

 路地から出てひとつ角を曲がる。途端に路地の冷たい空気は追いやられ、街の熱いざわめきがぶり返してきた。
 相変わらず人で溢れかえっている道は、少し視線を動かすだけで知った顔がちらほらと目に留まる。知り合いが自然と一か所に集っていくらしいのは、フワが思う以上に駆け足で起こる現象だったらしい。
 背後を振り返り、目を細めて屋根を見上げる。路地から上がる細い煙は、眩い青空には勝てず薄まっていた。