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建国期A

2024-10-25

シナリオ:Realm a chronicle of empire

1d2の1をH、2をTとする。

最初のページに気付かなくて2ページ目からやっちゃった。それでも面白かったけど、もったいないのでいつか再プレイしよう。

1600年代

1682年

🎲1d2 → 2

長い戦争は、その片方の代表が首を落とされたことで決着した。この国の新たなる王は、非合理的で気紛れで、運だけで勝ち抜いてきたような男だった。

1693年

ひどい不作の年だった。麦、かぼちゃ、みかん、全てが軒並み駄目になった。台風に伴って吹き上げられた波が、土地のあらゆる場所に降り注いだためだった。数年、いや数十年に一度のその現象は、あらゆる学者が名称を付け、そして詩人が脚色して歌った。

🎲1d2 → 1

1694年

王は畑を捨てろと言い、代わりに港の強化を支援した。荒れ果てた野菜を使い、魚を育てるように言った。農家たちは夢物語だと反発したが、やがて王の正しさが証明されることになった。

1696年

🎲1d2 → 2

1697年

不作を後押しするように、大地を焼き焦がす雷が数か月も続いた。枯れた農地はやがて見捨てられていき、民衆の目は海に向くようになった。人々は竿を作り、船をこさえ、魚や貝を探すようになった。

1698年

畑を生き永らえさせる人々はいたが、追い打ちのようになおも不作は続いた。優しく慣れ親しんだ野菜を恋しがるものもいたが、ようやく食える魚介とそうでないものの区別がつき始める頃、人々はその代替手段に慣れていった。

1699年

国はやがて、賑わいを取り戻した。山から海辺に移動した人々はもう戻ってこなかったが、それでも問題はなかった。畑の幸はたまの高級品として出回るくらいで、ほとんどの食料は魚介か、あるいは小さな木の実や野草で賄われた。

1700年代

1701年

小さな反乱軍が結成された。かつて王となる前の男に敗れた残党たちだ。戦争と不作を耐えて生き延びてきた彼らは、力を取り戻して、再び国をひっくり返そうと決心していた。彼らは今の王を考えなしのXXXと蔑み――それは紛れもない事実だ――、その打倒を謳った。

🎲1d2 → 2

1706年

王の気まぐれな運営により、貧富の差ははっきりと広がっていた。港の労働力は安い。かと言って、ごくわずかの農家もその管理者に安く使われ、釣り合わない賃金だけを受け取っていた。
王の采配があれば、もっと皆が裕福になれるはずだ。

1712年

🃏 → 7🔶

革命家のリーダーはグラニーと名乗る女だ。死んだかつての指導者に変わって、ごろつきじみた反乱軍をまとめ上げた実力者だ。癖のついた長い赤毛と、鎖骨を割ったような大きな傷が特徴だ。彼女自身も貧富にあえぐ幼少期を過ごした。その大きな傷跡は、恵まれない時代の象徴だと言う。

🎲1d2 → 1

1714年

湖を挟んでにらみ合っていた王政と反乱軍との間で、ついに戦いの火蓋が切って落とされた。東西の道は連日何かしらの小競り合いが起き、その度に血煙が舞った。民衆はただ震えて、行方を見守るのみだ。

1715年

正しい労働に正しい対価を。国土は盤上遊戯ではない。国民は王の駒ではない。連日叫ばれたその言葉は、革命軍側の掲げる未来そのものだった。

🎲1d2 → 2

1716年

戦争に疲弊した人々は、やがて自分の力でリーダーを選び始めた。自警団は町の住民のそれを取りまとめて意見書とした。――ただし、戸籍のある人間は、おそらくそうあるべき数よりもずっと少なかった。
各所の投票箱と休戦協定の書簡を携えたグラニーが城を訪れ、王はそれを受け入れた。民衆は外から見えぬそれを、足掛けの会と呼んだ。

1718年

果たして協定は結ばれ、この国はよすがの島と呼ばれるようになった。

1720年

王は処刑された。グラニーは新たな王となるべきだったが、結局別の役職に就いた。王座からでは民衆の暮らしが見えないと分かったためだ。ごく数年の間では整備も何もままならなかったが、それでも人々の生活は確かに楽になった。望めば、相応しい労働と対価が与えられるように。

ようやく戦争の影響が薄まり始めた頃、大きな津波が国を襲った。