マニカは、既に空になっているマグを傾けた。冷たく乾きつつあるホットミルクの水滴は、底に浅く薄い筋を残している。
「辛気臭い面だ」
向かいに座るクダックが小さな笑いをこぼした。深夜だというのに防護眼鏡を頭にかけたままの男は、何杯目かの砂糖をカップに追加している。
「……眠れる気がしない、と思いまして」
「珍しいな。そんなに明日の行程が不安か」
「不安というか……」
掲示板に張り出された依頼書にマニカの目が向く。山間への配達依頼――急ぎの仕事として指定されたそれが、明日早朝からの予定だった。
「人が滅多に訪れない田舎のようですから。自分の余りある美貌が、男性方の注目の的になったら。はあ、一体どうやってかわそうかと……」
「心配して損した」
「冗談ですよ」
手持ちのマグにピッチャーから水を注いだ。ぬるい水とミルクが混ざって、かすかに濁った色が浮く。
「少し自信がないだけです。最近は気を抜いていていけないな、と」
「……ああ」すぐに思い当たった様子でクダックが頷く。「魔物とまとめて、ヨジも切り裂いていた。あれはらしくないミスだな」
「ええ。初対面で連携が取れなかったと言えば、それまでではありますが」
長く垂れた前髪を指先でくるくると弄った。クダックがそれを眺めながら、一口分の紅茶を飲む。
「はあ。味方を誤って刻むなんて、あなたじゃないんですから……」
「おい」笑い声。「せめて相手がドフリーならまだ平気だったものを?」
「そうかもしれません」
このぬるい水は、つっかえと一緒に飲み込むにはぬるすぎた。釈然としない気分のまま、マグを空にする。
しばらく表情を眺めていたクダックは、やや呆れた様子で再び口を開いた。
「ヨジには悪いが、よくある話だ。謝罪は済んでいるし、それであいつも許した。後の仕事も滞りなかった」
「……ふふ」
マニカは思わず小さく笑いをこぼす。たった一度の誤射、、だ。日頃しょっちゅう手を滑らせる男からしてみれば、ささいすぎることだろう。
「あなたが言うと重みがなくて納得しやすい。助かります」
「そう褒めるな。明日に障るぞ、無理にでも眠る気合は出たか?」
マグを店員のいないカウンターへと置く。硬質な音が静かな室内に響いた。
「ええ、そうですね。もう問題なく。……長いこと付き合わせました、おやすみなさい?」
「おう」
短い返事で見送られる。
これなら、目覚めはよさそうかな。自室への階段を上りながら、マニカは一人そう考えた。