KRXCUBJK

クッキー

2022-10-01

 子どものころ、厚紙をクッキーに見立てたことを、ふと思い出した。
 何も誤飲したとか、そういう話ではない。昔、厚紙を材料に使う工作キットがあったのだ。必要な部品をくり抜いて最後に余った厚紙が、ちょうど丸くて茶色くて、小さく分厚いクッキーに見える。余り物でつまりはゴミなのだが、子どもだった僕の目には新しい玩具のように思えて、別の玩具と組み合わせて遊んだ。それを思い出した。
 懐かしい記憶は、涙声に引き戻される。
「わたしのクッキー、知りませんか……」
 泣きそうな声どころか既に半泣きだ。声の主の女児は不安そうに両手を握り締め、こちらを見上げている。保護者らしい人影は見当たらない。
 僕はゴミ箱に寄りかかるようにしゃがんだ。中身一杯のゴミ袋は脇に置かれたまま、分別作業を進められずに放置されている。軍手でつついて揺らすと、捨てられた缶が騒がしく擦れた。
「見てないな。ゴミ箱にクッキーなんて捨てたの? まずこれ、空き缶用のゴミ箱だし……」
「捨ててない、捨ててないけど……探しても見つからなくって、間違って入っちゃったかもしれない……」
 間違えて入れたことは仕方ない。うっかりは誰にでもある。それはともかく、困ったな、と僕は考えた。
 もしここで本格的に泣かれると困ってしまう。泣きそうな子どもを邪険にあしらえるほど、僕は悪人ではないのだ。それに、大人の前で子どもが泣きだしたとなれば、弁明してもあまりいい顔はされないだろう。この子の保護者相手だったなら、尚更。
「ええと……じゃあ確かめてみる? この中になかったら、諦める」
 提案を聞くと女の子はわずかに表情を明るくする。一粒の涙が俯く頬を流れ落ちた。
「うん……」
「君は触らないでね。外のゴミって汚いから」
 念押しへの同意をしっかりと確認して、僕は軍手で中身を探り始めた。あったら教えてと伝えると、女の子は真剣な目付きで僕の手元をじっと見つめる。
 僕は、公園のゴミを回収する清掃業の人間だ。ゴミを回収して新しい袋に替える。捨てられたゴミのうち、分別が誤っているものは軽く選り分ける。
 広い公園で遊ぶ子どもたちを微笑ましく見守ることは毎日のようにあれど、向こうから話しかけられたのは初めてだった。いかにも悲しげな子どもが近付いて来たときは迷子かと思ったが、解決への道が自分の仕事ついでなのはラッキーだった。僕にとっても、多分この子にとっても。
 袋の中身を少し掘り起こしても、当然中身は空き缶ばかり。普段いたずらのように紛れ込んでいる別種のゴミすら、今日に限ってほとんどない。いつもこうだと良いんだけど。
 半分ほど探り、この行為に意味があるか改めて疑い始めた矢先、女の子がついに声を上げた。
「あ! あった!」
 僕は手を止める。僕から見える範囲には空き缶しかない。
「え、どれ?」
「あのっ、ここ」
 袋の外から指で一点を示す。僕は外側を覗き込んだが、それらしきものは見えない。覗き込んだことで何かのバランスが崩れたのか、残りの空き缶は袋の中を雪崩のようにずり落ちていく。
 目的の物も巻き込まれて沈んだらしく、結局は中身全てを取り出す羽目になった。
 最終的に僕の手で取り出されたのは、石だ。子どもの手のひらサイズの少し平べったい石。何の変哲もないそれは、ジュースの香りと液体にまみれている。
「クッキー!」
 嬉しそうに手を伸ばす女の子を避け、僕は慌てて立ち上がった。
「あ、待って、汚れてる。きれいにしよ。君の手が汚れてしまう」
 そう言うと、女の子は待ちきれない表情になった。分かりやすく不服そうだが、その文句が言葉となってまで出ないのは助かる。僕は子どもと言い合いはしたくないし、しかし液体まみれの石を持たせるのは流石に不安だ。
 軍手を外して、傍の水飲み場の蛇口をひねった。女の子は大人しく待っている。
 冷たい水で洗いながら、僕は内心「何だ」と思った。言葉通りのクッキーでも菓子でもなかった。ただの石だ。それも、この公園内を探せばいくつでも見つけられそうな。気付かない僕も抜けていたかもしれないが、子どもに不慣れな人間はそんなことには思い至れない。
 見立てていた。かつての僕がそうだったように、泣きそうになって探す理由は石そのものではなく、見立てた先にあった。厚紙のクッキーを玩具箱へ大事に片付けるような行動は、いつどこの子どもも変わらないのかと考えながら、滴る水を軽く切る。
 濡れたまま渡した石を、女の子は大事そうに両手で包み込んだ。もう頬ずりでもしそうな勢いで、そうなる前に止めるべきか迷ってしまったほどだ。
「すっごく嬉しい」
「うん。見つかってよかった」
 石は湿った水分ごと、リボンのついたハンカチで優しく包まれ、小さなポケットへ押し込まれる。大事に大事に仕舞われる様子は、まるで本物を見ているようだった。
「ありがとう、お兄さん」
 女の子は丁寧なお辞儀をした。どういたしましてと返す言葉は、少しぎこちなくなってしまった。