短編小説「夕焼けの照る宿で」

 鈍い光沢の鎧を着込んだ男は、夕陽に染まる建物を見上げた。リーン西方に位置するこの宿が、冒険者を受け入れていると聞きやってきたのだ。一冒険者もとい根無し草にとって寝食の確保は急務、はるばる尋ねる理由がある。
 乱暴になりすぎないよう宿の扉を押すと、隙間から落ち着いた雰囲気の音楽が聞こえてきた。室内に調度品類は少ないが、壁も床も酔っ払いの喧嘩に荒れた様子はない。冒険者の宿と呼ぶにはかなり綺麗に整えられているように見えた。
 足を踏み入れれば、見知らぬ客に気付いた女性がカウンター越しに愛想を向けてくる。男は応じるように、受付らしい従業員の元へ真っ直ぐ向かった。
 従業員は丁寧な歓迎のお辞儀をすると、予測していたように宿帳らしい一冊をカウンター上へ出す。
「今晩から部屋を借りたいのだが、しばらく空いているだろうか」
「ええ、大丈夫ですよ。サインを頂きますがよろしいですか」
「構わない」
 宿帳の新しいページが開かれた。男は空いた二番目の欄に筆記具をさらさらと走らせる。
 書きながら、一番上の誰かのサインが目に留まる。ありふれた名前ということよりも、訂正するように上から引かれている線が気になった。
「……他の冒険者か」
「ええ。ここに部屋を取られていた方です」
「ふむ、同業か。挨拶ぐらいはしておきたいものだが……なぜ線を引いてある?」
「……もう、戻られることはありませんので」
 従業員は努めて平易に言った。男はなるほど、と頷く。
 冒険者が危険と隣り合わせの職であることは、今更十分すぎるほど知っている。誰かが帰らなくなるのもさして珍しいことではないのだろう。宿のように冒険者の集う場所なら猶更だ。
「残念。俺の到着がいくらか早ければ機会を持てたかもしれないが……もしもの話は無用だな。代わりに長生きしなければ。さて、サインはこれでいいかい」
「ええ、ありがとうございます」
 従業員は宿帳を確認して閉じる。再び愛想のよい顔を上げると、部屋の鍵の受け渡しと、設備の利用についてを伝えてきた。キッチンは好きに使って良いらしい。きわめて事務的なやり取りだった。
 男は案内されたままの通路へ進み、渡された鍵と合う部屋番号を探す。他の利用者は出払っているらしく、物音一つしない。
 鍵を回して進んだ先は、ホールと同様に小綺麗な個室だった。シャワー室が付いた上に収納スペースもあり、更にはベッドも大きい。窓から差し込む夕陽に眩しげに目を細め、室内を見回すのも程々に重たい荷物を下ろす。
 荷整理と同時に退屈になる思考。それをかき回すように、男の頭の片隅にはある未来像が浮かんだ。それは自分の名前――ロナルドというありふれた物だ――に、事務的に線が引かれる空想だ。
 自分にも間違いなく訪れるいつかの未来。あの受付は惜しみながらもさっと線を引き、用を済ませた宿帳を閉じる。カウンター内のスペースへとしまわれたそのノートは、次の出番が来る時まで静かにそこにある。

クエストノーツ非公式短期企画「冒険の終わりに」
拠点「望む夕明亭」二次創作作品